2018年10月26日

【今年も終わりが近づいてきて】

今年もまもなく10月が終わり、年末が見えてきました。
改めて、昨年末からのブログを振り返り、上手とは言えませんが書道をしてみました。

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今年、私が目指そうと思っていた境地を表す漢字です。「たのしい」と書いたのですが、実際には、やわらぐ、よろこぶ、という訓読みのようです。

私は常に慌てふためきやすいので、ゆったりと、心静かに、日々をたのしんでいきたいという願いを持ちました。

しかし、結局、10月になってもそういう境地にはなれていません。

春からの進学は予想以上の厳しさでした。何より体力の問題が大きく、何をどう調整していけば困難を切り抜けられるのか答えがみつからぬままでした。

何か大きな決断をした後で、うまく変化についていけずあたふたしていると、「その決断がどれだけ大変かなんてもともと覚悟してなかったの?」と聞いてくる人がいます。

人生の中の困難なんて、入口では想像くらいしかできません。私にとっては、実際に渦中に入り込んで初めて具体的に実感し、その中でようやく少しずつ覚悟が整っていくものです。
きっと私は、一生そのように生きていくのだと思います。

しかし。。。「怡」は引き続き目指したいです。
人格の完成なんて臨終までわかりません。
どんなに年齢が進もうと、私は未完成。
それでも、風が軽やかに舞うように、心は常に風通しの良い方がいい。
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2018年09月11日

【足元の地面を見ることは大切】

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように

坂本九さんの名曲。
今回の投稿をしようとして、ふと思い出したのでちょっと書き留めた次第です。
正反対のお話になるのですが。

人生には、多分がむしゃらに走らねばならぬ時期があります。
その時期はいつ来るかわかりません。

私もある時は走ったつもりだし、
今も走らなければならないのでしょう。

ただ、その時、私自身に必要で忘れがちなのは、足元の地面を見ること。

下を向いていたら全力で走れませんか。

私の場合、気づいたら地面がなくなってたということが多いのです。

それで、コケます。
宙を落ちて行くのです。

全力で走るなら、そのための地面をいつも見られるようにしておきたい。

自分だけのペース。
自分だけの地面。
上を向いて歩こう。。。よりは、
時には下を確かめよう、が
私には必要。

誰かよりも楽だとか、
誰かよりも苦しいとか、
そういうことは関係なく。
地面がなければ走れない。

その分、時間がかかったりするのかもしれませんが。

誰の足元にも、走るための地面は必要です。

最後は誰得な写真で恐縮ですが近影です。

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気持ちばかり若くても細胞は歳を取る。
私ももうすぐ熟年の入り口。
どこまで走れるのでしょうか。
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2017年12月30日

【今年2017年を振り返ってみると。。。】※長いです

もう明日は大晦日、2017年も終わりますね。
毎年思います。大晦日と元日は、暦がなければ夜明けで区切られるだけなのに、年が終わり、年が始まる、と考えるだけで一気に特別感が高まります。
何かに「意味を与える」というのは、不思議なものです。

。。。という屁理屈な前置きをしまして、今年はどういう一年だったかなあと改めて振り返ってみます。

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デッサン教室の仕事は、初めての公開講座(2回)や、初心者対象を掲げている教室なのに何故かクリエイター系のお仕事をされているプロの方々がレッスンに通っていらしたり、色々新しい体験をさせていただきました。初めての生徒さんがいらしてから、来年の3月でデッサン教室の仕事は丸5年を迎えます。少しは教える人としての積み重ねが出来てきているかな、それでもまだまだ学び続けなければと思います。
来年も、生徒さんひとりひとりとじっくり向き合うレッスンを目指して、私にしかできないレッスンを作っていけると信じて、続けていきたいと思います。

仕事と言えば、今年はイラスト制作のご依頼もありました。師匠のデッサンサロンで描き続けていたアンティークのテディベアのデッサンをインスタグラムにアップしていたのを見て、ご連絡をいただきました。何がどういうご縁につながるかわからないものだなあと思います。来年も、ひょんなことからご縁が。。。というお仕事があるといいなと思います。

展示活動は、6月に三鷹の点滴堂さん、9月に下北沢のバーラストチャンスさんで、それぞれ個展をさせていただきました。6月は鉛筆画で自分の少女時代へのノスタルジー、9月はひたすら空と雲をスケッチし続けて100枚、の内容で展示させていただきました。今年は、今までで一番多くの絵がお客様の元へ旅立ってくれました。ありがとうございます。
今のところ、作風も技術も変化を続けているようなので、来年は、私と面識のない方から見ても、油彩も鉛筆画も「はやしすみこの絵だ」とわかるような匂いがする。。。というところに、いったんたどり着けたらいいなと思います。

現代童画会の活動は、春季展で特別賞(完全に内輪の賞なのですが)をいただけました。初の一般入選から童画会に関わって17年、少しずつ古株になってきています。本展の開催された11月には大きく体調を崩して本展を全く観ることができずに終わってしまいましたが、来年も地道に描いていこうと思います。

プライベートでは、今年はあまり体調が良いとは言えなかったのが残念でした。自律神経失調に度々悩まされることが多く、11月は寝たり起きたりの日々が続きました。ただ、過去に問題のあった血糖値や鉄欠乏貧血については今年は安定していて良かったです。来年は体調を少しずつ改善していって、体調の心配なく積極的に外出できるようになりたいです。

あと、高校時代の部活の同級生とLINEでつながり、旧交を温めた1年でもありました。卒業してから◯年、皆それぞれにいいオバサンオジサンになりましたし、私は今はもう合唱からすっかり遠ざかってしまっていますが、ただ純粋に歌い続けたあの日々が、今でも皆のよりどころであることが嬉しかったです。これからも、年齢なりの喜怒哀楽を共有しながらつながり続けていたいと思います。

ざっくり言うと、気持ちがいつもいっぱいいっぱいで余裕のない1年だったのですが、こうして書き出してみると充実していたんだなと思います。

来年はどういう一年にしたいかといえば、何よりもまず健康でありたいというか、健康な状態に持っていきたいと思います。

そして、先日、下北沢のバーラストチャンスのマスターに「怡」という字を教えていただいたのですが、この字には、「よろこぶ」「打ちとけて楽しむ」「心が和む」「気持ちが穏やかになる」という意味があり、これは、この1年慌てふためいていた私がめざしていくべき境地かもしれません。
文字との出会い、なんというか、すごいタイミングです。

「今年の漢字」は「北」に決まったそうですが、私の今年の漢字は「慌」ですね^^;
来年は「怡」を目標に、日々すごしていけたらいいなと思います。

以前からのおつきあいの皆様、今年新しく出会った皆様、色々ありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願いいたします。
posted by はやしすみこ at 23:07| 東京 ☀| もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

【時間の長さの感覚】

大人になると、毎日があっという間で時間が短く感じられるようになる。
しかも、加速度的に。

私たちにとって、流れる時間とは時計の規則的な刻みで定義されていて、その単位あたりの長さは子供も大人も同じはずなのに、不思議なことです。

以前、単位あたりの時間の感じ方というのは、自分の人生の長さが基準になっているという説を聞いたことがあります。

生まれて1秒目の赤ちゃんには、その1秒が人生のすべての長さ。
1歳は365日のうちの1秒。
10歳は3650日のうちの1秒。
というように考えていくと、年齢とともに、1秒の長さは相対的に短くなっていくのだと。

わかるような、わからないような。

その、月日の流れの話を昨日、作家仲間としていて、ある人が、

子供は日々新しい体験だらけで、その感動で心が占められるために、時間が長く感じられるらしいよ、

と話し始めました。

わかりやすい例だと、初めての場所に行くときはとてもそこまでの道程が長く感じられるが、帰りとか、もう一度行くときには、それほど長く感じられなくなるのと同じ。

大人は、毎日がルーチンワークのような生活になりがちで、次に何が起きるか大体わかっているし、結果として、新しいことを知る感動の機会も減る傾向にある。

。。。つまり、新しいことを体験し続けたら、こんなに日々があっという間だわ〜、と、がっかりしなくて済むのでは、という結論になったわけです。

ただ、子供の頃は、自分から求めなくても日々が新しい。大人になると、経験が増える分、自分から殊更に求めないと日々は新しくならない。

私にとっての新しい感動の体験って何だろう。
大きなことでなくてもよくて、とにかく自分にとって新しいこと。
自己啓発だとか勉強だとか、それも大切なのだけど、そこまで大上段の構えではなく、とにかく自分にとって新しいこと。

体力の衰えを少しずつ感じるアラフィフ世代ゆえ、まだまだ時間はあるのだと自分を励ませる日々でありたい、と思うのでした。

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2017年08月22日

【別れ際、お見送りはいつまで?】

誰かとお会いして、それではまた、とお別れするとき、

お見送りする側の場合、
お相手が見えなくなるまでお見送りするタイプでしょうか、
お別れの挨拶をしたら、すぐに次の行動に移るタイプでしょうか。

お見送りされる側の場合、
何回か振り返って手を振ったり会釈したりするタイプでしょうか、
一度も振り返らずどんどん歩いていくタイプでしょうか。

どれがしかるべき、というのはないと思うのですが、

私はいつまでもお見送りをしたいし、何回か振り返って手を振りたいタイプです。
昔から、ふっと振り返ったときに、見送ってくれているはずの姿がもう見えなかったりすると、ちょっとさみしく感じていました。

しかし最近、ある友人に
「長々と見送らなくていい、自分はずんずん歩いて行くから」
と言われ、ちょっとはっとして。。。

振り返らない、いつまでも見送らない、のがデフォルトの人もわりといるんだなと、改めて実感したわけです。もっともその友人も、そのときに何か別の含みがあったのかもしれませんが本当のところはわかりません。

そういう小さな出来事の積み重ねの結果、最近では自分が見送られる側の場合は、やはりさみしい気分になるのがつらいので、その頃から敢えて振り返るのをやめることにしました。

ただ、私が見送る側の場合は、それでもやはり振り返ってくれたときに手を振り返してあげたいので、見送らなくていいと言われても、姿が見えなくなるまで見送っていたいなと思っています。

殊更に宣言するようなことでもないのですが。
いろいろなタイプがいるよね、というざっくりとしたまとめで。
posted by はやしすみこ at 00:05| 東京 ☀| もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

【お盆が終わると忍び寄る秋】

実家のお盆は8月です。
8/13の迎え火と8/15の送り火は私の担当なので、お盆にお盆休みという概念は私にはありません。

実家は徒歩10分ほどのところにお寺さんがあり、墓地まで提灯を持ってお迎えとお見送りに行きます。

これは迎え火の日の空。
自宅で見るより雲が間近に感じたのは何故だろう。

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さて、かれこれ10年以上猛暑続きですが、ここ2〜3年、お盆が過ぎると急に暑さが和らぎ始める気がしています。

だから、お盆が過ぎると気分は秋。

そして、夏の間は全く感じない、手の甲の乾燥を手触りで覚えるのも、私にとっては秋が始まるサイン。

さっき、乾燥を感じて久しぶりにハンドクリームで手の甲や指をマッサージ。

私にとっては、もう秋の始まりです。

まだ暑さ厳しい日はあると思いますが、季節は確実に動いていき、体調管理がますます重要に。

皆様もご自愛くださいね。
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2017年04月11日

【好奇心なのか天然なのか】

急用が出来、日帰りで実家まで往復してきました。

実家の庭は母が花壇をいつも手入れしており、季節ごとにたくさんの花が咲いています。今年の春はこんなです。

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現在は美しい花に彩られた庭も、私が子供の頃はむき出しの地面だけの庭で、格好の泥遊びスペースでした。

ところで、幼少期の私は結構「やらかす」ことが多く、おままごと用の食器に山盛りした砂を「何となく勢いで」食べてしまい大泣きしたり、お出かけ用のワンピースに着替えたのに、母を待つ間に向かいの公園のペンキ塗りたてのすべり台が気になり「何となく勢いで」座ってしまいワンピースごと貼り付いて大泣きしたり。

好奇心旺盛だったのか、単に天然だったのか。
その度に母にたいそう叱られました。

話を庭に戻すと、この庭も、泥水の小川を作りたくて土を掘り返し、母に叱られた記憶があります。大雨の後に土の上を雨水が流れた跡が乾いて作る、あの何とも言えない筋模様を、自分の力で再現したかったからなのですが、やはり「何となく勢いで」地面を掘り返したのは間違いでした。

何となく勢いで。。。(笑)

基本的には小心者で、石橋を叩いても叩いても渡れない性格のまま大人になっているはずなのに、石橋を叩くのに疲れると、やはり何となく勢いで予期せぬ行動に出てしまいがちなのは、私の運命なのかもしれません。

今日はとりとめのない思い出話など。
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2017年03月19日

【彼岸桜、満開中】

春の彼岸の頃に、ソメイヨシノなどに先駆けて咲く彼岸桜。

先日、地元のJAにコロコロした蕾をたくさんつけた彼岸桜が入荷していたので購入し、自宅の花瓶に挿しておいたところ、

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あっという間に満開に。
図らずも自宅にてお花見。

そもそも、花を見て、人は何故「美しい」と感じるのかなと思う。

あるいは、花は美しいものなのだと幼少期からの刷り込みがあるだけなのかもしれない、などと考えてしまうとミモフタモナイ。

ひとまずは「美しい」と素直に感じていればいいのかな。

彼岸桜の花言葉は、心の平安、だそうです。

安らかでありたいと思いつつ、
いつもざわざわとさざ波立つ。
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2016年09月25日

【無限大の本当の大きさなんてわからないけれど】

よく、人間は脳の機能のほんの何割かしか使っていない、という話を聞きます。

例えばそれが10%として。

脳の持てる全ての機能がそれぞれ出力10%、というのと、脳の持てる全ての機能のうち、10%の機能を使っている、というのとでは、ずいぶんちがう。

デッサンを教えていて、時々「自分には観察能力がないのかな」と心配する生徒さんがいらっしゃいますが、デッサンを続けているうちに観察力は必ず育ってきます。

その体験も通じて思ったのは、

結局、自分が生きていくために必要だったり、自分が置かれた環境や条件に適応するための脳の機能を積極的に使うことで、そこが伸びるということなんじゃないかと。

つまり、10%の機能は積極的に使われて、残りの90%の機能は使われなかったから伸びていない。

人間が、可能性は無限大だ!と思えるのは、残りの90%に相当する部分の大きさが実際には計り知れないからであって、確かにそれがフル回転できたらどんな超人になるのかとドキドキするけれども、

大抵は超人にはならないで寿命を迎えるし、第一、超人という存在はある意味不気味だし、それで良いのではないかとも思う。

ただ、もしまだこれから、私のまだ使っていない脳の機能が発達するとしたら、それは何だろうな、と考えてみたりするのは、楽しい。

多分、無限大にも大きさはあって、ただ、その大きさがわからないだけ。

わからないならわからないなりに、まだまだ人生色々なことが起きるよね、と思います。

。。。この投稿に、オチはないです。
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2016年09月07日

【ただのひとり言ですが】

時々、思うことがあって、
人間って何かの渦中にいる時は、
ただ、もがくしかないこともある。

その何かから離れることができたとき、
初めて色々な視点がひらけたり、
ああ、あれはこういうことだったのか、と
ようやく腑に落ちたりする。

たとえ、直接的な目標は達成しなくても、
もがいた時間は決して無駄ではなくて、
苦しかったもがきがいつか
強い土台になっていたりする。

苦しいときは、どうしても、
苦しさに大騒ぎしてしまうけれど、
投げ出さずに居さえすれば、
いつか何とかなるのかも。

それが、思っていた形ではなくても。

きっと、その時の最善の形に、
なれると思いたいです。

そのために、今日もひとつでいいから、
小さなことでいいから、
何かしよう。
posted by はやしすみこ at 11:14| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月30日

【生まれた意味とか生きる意味とか】

昨晩は、渋谷までライブを観に。
秋口に越生で開催予定の、音楽フェスのプレイベントで、知人が久々にバンドを組んで出場するというので、楽しみに行ってきました。

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あまりゆっくりは滞在しなかったのですが、それでもたくさんのミュージシャンの演奏を聴くことができました。

それで、じっくりと歌詞にも音にも耳を傾けながら、ずっとひとつの考えが頭をめぐっていました。

人間って、どうしてこんなにも、生まれてきた意味とか、生きていく意味とかを、自分なりに明確に定義していかないと不安になったりするんだろうかと。

昨夜のステージは、それでも生きていくよ、という、それぞれの想いが溢れていた気がします。

いいライブでした。

あと、ステージにはライブペイントの若手アーティストも何人か来ていて、久しぶりにライブペイントって面白いものだなあと思いました。

私はひたすら、1枚の小さな絵を完成に向けてチマチマカリカリと描き込んでいくタイプですが。。。絵は完成させるものだけではなくて、終わりなく変身していく形もあるのかな、と。

今までは、ライブペイントは自分には無理と思っていたけれど、いつかやってみたいなと思いました。

それには、いま目の前にある自分の大きなハードルをひとつ越えなければ。

posted by はやしすみこ at 11:13| 東京 🌁| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

【うつみのりこさん 「しろくまのそだてかた」】

現在、子どもの本や教科書、書籍を中心にイラストレーターとして活躍中の、うつみのりこさんの絵本「しろくまのそだてかた」。

手帳くらいのミニ絵本です。

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しろくまをそだてるときにたいせつな12のこと、について、ほのぼのとしたイラストと文章でつづられています。

この本には大人に向けたメッセージが込められているそうですが、「しろくま」と「あなた」は様々に置き換えて読むことができそうです。

詳しくはこちら
うつみのりこさんのブログ

うつみさんは私が絵の活動を始めた頃からの長年のお友達です。その頃からの私(と私の絵)をよく知っているお友達は、だいぶ少なくなりました。。。いつお会いしてもお話し足りないくらい、楽しい人です。

たくさんの人に、しろくまの愛が伝わりますように。
posted by はやしすみこ at 12:34| 東京 ☁| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

【楽しかったことしか覚えてない】

ふと思ったこと。
今までの人生の中で、

嬉しかったこと楽しかったこと、つまり自分に心地良かったことと、

悲しかったこと悔しかったこと怖かったこと、つまり自分に心地悪かったことと、

どちらを多く覚えているんだろうと。

多分、良いことも悪いことも、自分にとって都合のいいような部分しか記憶にない(ことにしている)のが人間、という気もするんだけど。

いつか、

あのねぇ、人生、楽しいことしか覚えてないのよ。。。

などとのたまって、能天気に周囲を絶句させるくらいに老練するまでには、

どれくらいの数、心地悪い出来事と心地良い出来事を、重ねては乗り越えていくのかな。

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ところで、

昨年春に突然、モチーフにするためホームセンターから買ってきた20センチくらいのサボテン君は、まだ元気に我が家の窓辺で成長し続けています。

今日は全くオチのないお話でした。


posted by はやしすみこ at 17:54| 東京 🌁| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月31日

【今日のパレット 20151231 今年も終わりです】

あと2時間ほどで年越しです。
すっかりテレビを観なくなっている我が家では、紅白歌合戦の進行を時々ネットでチェックはするもののテレビは消えたままで、そのせいもあってか大晦日の実感がない夜を迎えています。

今年最後の、今日のパレット。

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今日は朝から絵を描いていて、1枚仕上がりました。
仕上がった絵は来年の春に展示予定のもので、M4号。既製の額縁はないので年が明けたら特注します。

今年は、なんだか常に心が慌ただしく落ち着かない出来事が続き、試練の年だったかなと思います。試練はまだ続いていますが、来年の春頃には一度、身辺の仕切り直しをしたいなと思っています。

試練の年とは言え当然苦しいばかりではなく、自分が思っているよりもたくさんの人が、私を心配したり見守ったりしてくださっていることに気づかされた1年でもありました。

毎日絵のことばかりで、しばしば心の余裕をなくしてしまいがちな私のことを、辛抱強く支え続けてくれている家族。私の描くものを、私から多くは言わずとも深く理解して指導してくださる師匠。そして私と変わらずに交流を続けてくれている知人友人の皆様や、お声をかけてくださるギャラリーオーナーの皆様、絵のお客様、アトリエうみねこの生徒の皆様、たくさんの皆様に、ありがとうございました。

来年はどんな1年になるでしょう。人間としての器はなかなか大きくはならない私ですが、小さい器なりにも、やはり絵を描くことで誰かに喜んでもらえるような1年でありたいなと思います。

来年の展示は2月中旬のグループ展から始まります。個展も予定しております。
来年もまたどうぞ宜しくお願い致します。
posted by はやしすみこ at 21:57| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

【明日できることは今日するな】

よく、「今日できることを明日に延ばすな」と言いますが。

時々、「明日できることは今日するな」と思うことがあります。

もちろん、「。。。明日に延ばすな」というのは、物事をやみくもに先送りにせず迅速に対処しなさいという意味合いだとは理解しています。

こういう経験したことのある人は結構多いのではないでしょうか。
「明日からテストだというのに、勉強しようとして無性に他のことが気になり、結局勉強できなかった」とか、「大掃除しようと思って始めたのに、古い雑誌や手紙が出てきてつい読みふけり、掃除にならなかった」とか。

「これをやらねばならない」という強い義務感は、ある意味ストレスですよね。その精神的緊張を紛らわすためについつい余計なことに手をだしてしまうということですね。

このほかにも、仕事が立て込んでいていくつもタスクが溜まっているような場合も、明日までに仕上げなくてはならないタスクよりも、日程に余裕のあるタスクの方に良いアイデアが浮かんでしまい、そちらの作業を優先してしまった結果、夜になってから「明日まで」のタスクが手付かずなのに気づいて慌てて結局徹夜してしまったり。

「明日できることは今日するな」というのは、言い換えれば「スケジュールに余裕のないタスクから片付けろ」「今日しなければならないことだけをしよう」ということ。

「忙しい」という字は「心を亡くす」と書くんだぞ、いう戒めの言葉には耳にタコができる思いで、実際もう聞きたくないというのが正直なところですが、まさに忙殺されてしまっている人は多いと思います。私もある意味そのひとりかもしれません。

スケジュールに余裕のないものを抱え込んでいるとき、やらねばならないと義務感にかられてしまったとき、そのストレスを「発散する」というのではなく「解放する」という方法はないものでしょうか。。。

「心に余裕を持ちましょう」と掲げても、どうしたら余裕が生まれるのか、その方法を考えないと、いつまでたっても心の余裕は持てないですよね。

「今日しなければならないことだけをしよう」

それだけで十分、でもそれがわりと難しい。

他人とのコミュニケーションが難しいと感じることもあるけれど、実は自分自身の心がいちばんままならないものなのかもしれません。
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2015年03月30日

【デッサンは自然界の法則を知ること】

少し前に、デッサンが上達すれば油彩も自然に上達するよ、と励ましてくださった方がいらっしゃいます。

鉛筆と筆では描き味が全く違うので、そこは使いこなさねばなりませんが、どちらもしっかりとした物の見方ができていることが肝心だ、と仰りたかったのかなと思います。

まず、デッサンの上達って何なのだろう。

デッサンは、特に初心者のうちは目の前の物を緻密にそっくりに描くことである、というイメージが強く、モチーフの輪郭を線で何度も描き直しながら、うまくいかない、とがっかりすることが多いかもしれません。

しかし、まず物の塊としての様子にフォーカスして描き始めると、意外と見えてくるものは多い。

よく言われる、陰影で立体感を描くというのは、つきつめていくと単純なことではないと、私自身も最近になってようやく少し実感するようになってきました。

陰影は単純に、物の立体感の表現のためにあるのではなく、自然界の光と物体と空間の関係を表現するためにある。静物画というのは、自然界の光の法則を知り、絵の中に取り出すことから始まるのかもしれません。

日本の巨匠、東山魁夷が深い悩みに陥った時、「心を鏡のようにして自然を見ておいで」と師が語ったそうです。この言葉はもう10年くらい前に知って忘れられないエピソードですが、デッサンのトレーニングをする上での心構えにも通じると今では思います。

さて、毎日少しずつですが、デッサンはするようにしています。インスタグラムでぼちぼち紹介していますので、ご興味があればフォローください。
そして、本画のほうはなかなか進んでいませんが。。。今、自分が積み重ねていることが決して無駄にならないことを祈りながら。

ひとまずは、もう来週の月曜日に搬入がせまっている現代童画会の春季展のF8号を描き進めることにします。
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2015年03月08日

【納得しながらも満足しない姿勢】

SNSで、ある人に入れた自分のコメント。その時は思い付きで書いたのですが、改めて忘れないでおこうと思って、こちらに書き留めておきます。

絵を描くにあたって。

(一枚一枚は)納得しながらも満足しない姿勢が大切。

どの絵も全力で取り組む。でも、それをステップに次はもっと良いものを。

これはよくよく考えてみれば、絵を描くだけでなく人生全般において、もうこのくらいでいいやと思うことも、もうこれでいいやと思うことも、その人の成長を止めてしまう一因なのではと。

もちろん、人間には必ずモノグサな本性が隠れているし、どうにもならないことも起こる。だからそれを乗り越えてどこまで踏ん張れるのかな、ということにもなると思う。

私だって油断するとただのモノグサ。
そして細胞は確実に衰えていく。
でも自分に満足していないことだけは確か。

だから時折地味に凹みながらも、まるで自己治癒能力のように努力を続けるしかないのです。
posted by はやしすみこ at 00:43| 東京 ☁| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月19日

【何でも奥の意味が存在すると考えてしまう悪い癖】

最近、私に油彩の指導をしてくださった方が、ある日ふと。

油絵っていうのは、一度絵の具を置いたら取り返しがつかない。置いた絵の具は無かったことにならなくて、あとはひたすら重ねていくしかなくて、うっかりぐちゃぐちゃにしてしまう。

というようなことを仰いました。

もちろん、きちんと手順を考えて絵の具を置いていけ、ということです。

それから何週間か過ぎて、今朝ふと。

それってまるで人生と同じ。

と思ってしまった。

人生って、何か事が起きたら取り返しがつかない。起きた事は無かったことにならなくて、あとはひたすら生きていくしかなくて、うっかりぐちゃぐちゃにしてしまう。

何にでも奥の奥に別の意味というか暗示があると考えてしまうのは私の悪い癖です。

でもそういうことを考えながら今朝は筆を握っていました。

下絵もなく描き始めて、一度失敗してまた下絵もなく描き始めている一枚の小さな絵。

未完成状態の一部分です。

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この子はぐちゃぐちゃにならずに仕上がりますように。
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2015年01月09日

【ていねいに毎日を送る】

ていねいに毎日を送る。
ここのところしばらく、そうありたいと真剣に考えています。

人によって、ていねいな暮らし方のイメージは違う。

ともすると、いいやこれは後でまとめてやろう、とモノグサな考え方をしがちな私は、まずは「ふと気付いたことを見なかったことにせず、その場でやる」ことを徹底しようかなと思います。

小さな積み重ね。
今できることは今やる。
なんだそんなこと?

と思えることほど、実はやりこなすのは難しい。
posted by はやしすみこ at 08:48| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

【松下幸之助氏「道をひらく」 - 紙一重】

松下幸之助氏の随筆集「道をひらく」。
480万部超えのベストセラーだそうですね。

「人として大切なこと」とか「自己啓発」とかいう本は、著者から見下ろされている感じがしてしまいあまり好きではないのですが、この本だけは何だかいつまでも繰り返し読んでしまう。
それは、この本が純粋に松下氏自身の生きる上での決心と、一緒に幸せになりたい人々への問いかけでできていて、教えてやろう、導いてやろう、という一方通行な感じではないからかな、と最近では考えています。

朝、本の適当なページを1ヶ所だけ開く。
そこに見開き完結で記されているテーマについて、静かに考えてみる。
その日の運勢をカードで占ってみるような感覚ですが、時々ではありながらそういう読み方をしています。

今朝は「紙一重」でした。
ほんの僅かの違いから大きな隔たりが生まれてくることがある。
たとえば天才と狂人、人間の賢さと愚かさ、成功と失敗など。
ものの見方を少し変えるだけで、同じことが全く違うことに見えたり、発展したりする。
そのために大切なのが、素直でいる、ということ。というような内容です。

多分、この「素直な心を持つ」ということが一番難しいのだと思います。
ただ無邪気な心とか、純粋な心とか、感受性とか、そういうことではなく、物事の真ん中を、先ずニュートラルに捉えられるというか、いわゆる「中庸」の心のことだと思うのです。

「中庸の心」というのは、感情の浮き沈みの激しさやちょっとした被害妄想を起こし易い私にとって、到達したい境地でもあります。事が起きて右往左往するというのは、振り回される周囲もたまったものではありませんが、実は本人が一番つらいものです。

何年も前に心療内科のカウンセリングを受け、身にふりかかる事象をいかに落ち着いて客観視するかという部分を訓練していただいたことがあり、だいぶ改善はしたのですが、それでも「ほんの一瞬」心の立て直し方を間違えてしまうことは、今でもまだあります。

私にとっての紙一重は、その「ほんの一瞬」をどれだけ素早くつかまえて、自分を沈静化させることができるか、ということでもあるのかもしれません。

中庸の境地はその先で待っていてくれる気がします。

いい加減、大人として「いい歳」になりました。
今年は絵画教室の生徒さんも一気に増え、自分に関わってくださる方々への責任も色々と増えました。
まだまだ成長の途中、人生80年ならばようやく中間地点くらいの私です。
posted by はやしすみこ at 09:00| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする