2017年08月22日

【別れ際、お見送りはいつまで?】

誰かとお会いして、それではまた、とお別れするとき、

お見送りする側の場合、
お相手が見えなくなるまでお見送りするタイプでしょうか、
お別れの挨拶をしたら、すぐに次の行動に移るタイプでしょうか。

お見送りされる側の場合、
何回か振り返って手を振ったり会釈したりするタイプでしょうか、
一度も振り返らずどんどん歩いていくタイプでしょうか。

どれがしかるべき、というのはないと思うのですが、

私はいつまでもお見送りをしたいし、何回か振り返って手を振りたいタイプです。
昔から、ふっと振り返ったときに、見送ってくれているはずの姿がもう見えなかったりすると、ちょっとさみしく感じていました。

しかし最近、ある友人に
「長々と見送らなくていい、自分はずんずん歩いて行くから」
と言われ、ちょっとはっとして。。。

振り返らない、いつまでも見送らない、のがデフォルトの人もわりといるんだなと、改めて実感したわけです。もっともその友人も、そのときに何か別の含みがあったのかもしれませんが本当のところはわかりません。

そういう小さな出来事の積み重ねの結果、最近では自分が見送られる側の場合は、やはりさみしい気分になるのがつらいので、その頃から敢えて振り返るのをやめることにしました。

ただ、私が見送る側の場合は、それでもやはり振り返ってくれたときに手を振り返してあげたいので、見送らなくていいと言われても、姿が見えなくなるまで見送っていたいなと思っています。

殊更に宣言するようなことでもないのですが。
いろいろなタイプがいるよね、というざっくりとしたまとめで。
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2017年08月16日

【お盆が終わると忍び寄る秋】

実家のお盆は8月です。
8/13の迎え火と8/15の送り火は私の担当なので、お盆にお盆休みという概念は私にはありません。

実家は徒歩10分ほどのところにお寺さんがあり、墓地まで提灯を持ってお迎えとお見送りに行きます。

これは迎え火の日の空。
自宅で見るより雲が間近に感じたのは何故だろう。

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さて、かれこれ10年以上猛暑続きですが、ここ2〜3年、お盆が過ぎると急に暑さが和らぎ始める気がしています。

だから、お盆が過ぎると気分は秋。

そして、夏の間は全く感じない、手の甲の乾燥を手触りで覚えるのも、私にとっては秋が始まるサイン。

さっき、乾燥を感じて久しぶりにハンドクリームで手の甲や指をマッサージ。

私にとっては、もう秋の始まりです。

まだ暑さ厳しい日はあると思いますが、季節は確実に動いていき、体調管理がますます重要に。

皆様もご自愛くださいね。
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2017年04月11日

【好奇心なのか天然なのか】

急用が出来、日帰りで実家まで往復してきました。

実家の庭は母が花壇をいつも手入れしており、季節ごとにたくさんの花が咲いています。今年の春はこんなです。

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現在は美しい花に彩られた庭も、私が子供の頃はむき出しの地面だけの庭で、格好の泥遊びスペースでした。

ところで、幼少期の私は結構「やらかす」ことが多く、おままごと用の食器に山盛りした砂を「何となく勢いで」食べてしまい大泣きしたり、お出かけ用のワンピースに着替えたのに、母を待つ間に向かいの公園のペンキ塗りたてのすべり台が気になり「何となく勢いで」座ってしまいワンピースごと貼り付いて大泣きしたり。

好奇心旺盛だったのか、単に天然だったのか。
その度に母にたいそう叱られました。

話を庭に戻すと、この庭も、泥水の小川を作りたくて土を掘り返し、母に叱られた記憶があります。大雨の後に土の上を雨水が流れた跡が乾いて作る、あの何とも言えない筋模様を、自分の力で再現したかったからなのですが、やはり「何となく勢いで」地面を掘り返したのは間違いでした。

何となく勢いで。。。(笑)

基本的には小心者で、石橋を叩いても叩いても渡れない性格のまま大人になっているはずなのに、石橋を叩くのに疲れると、やはり何となく勢いで予期せぬ行動に出てしまいがちなのは、私の運命なのかもしれません。

今日はとりとめのない思い出話など。
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2017年03月19日

【彼岸桜、満開中】

春の彼岸の頃に、ソメイヨシノなどに先駆けて咲く彼岸桜。

先日、地元のJAにコロコロした蕾をたくさんつけた彼岸桜が入荷していたので購入し、自宅の花瓶に挿しておいたところ、

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あっという間に満開に。
図らずも自宅にてお花見。

そもそも、花を見て、人は何故「美しい」と感じるのかなと思う。

あるいは、花は美しいものなのだと幼少期からの刷り込みがあるだけなのかもしれない、などと考えてしまうとミモフタモナイ。

ひとまずは「美しい」と素直に感じていればいいのかな。

彼岸桜の花言葉は、心の平安、だそうです。

安らかでありたいと思いつつ、
いつもざわざわとさざ波立つ。
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2016年09月25日

【無限大の本当の大きさなんてわからないけれど】

よく、人間は脳の機能のほんの何割かしか使っていない、という話を聞きます。

例えばそれが10%として。

脳の持てる全ての機能がそれぞれ出力10%、というのと、脳の持てる全ての機能のうち、10%の機能を使っている、というのとでは、ずいぶんちがう。

デッサンを教えていて、時々「自分には観察能力がないのかな」と心配する生徒さんがいらっしゃいますが、デッサンを続けているうちに観察力は必ず育ってきます。

その体験も通じて思ったのは、

結局、自分が生きていくために必要だったり、自分が置かれた環境や条件に適応するための脳の機能を積極的に使うことで、そこが伸びるということなんじゃないかと。

つまり、10%の機能は積極的に使われて、残りの90%の機能は使われなかったから伸びていない。

人間が、可能性は無限大だ!と思えるのは、残りの90%に相当する部分の大きさが実際には計り知れないからであって、確かにそれがフル回転できたらどんな超人になるのかとドキドキするけれども、

大抵は超人にはならないで寿命を迎えるし、第一、超人という存在はある意味不気味だし、それで良いのではないかとも思う。

ただ、もしまだこれから、私のまだ使っていない脳の機能が発達するとしたら、それは何だろうな、と考えてみたりするのは、楽しい。

多分、無限大にも大きさはあって、ただ、その大きさがわからないだけ。

わからないならわからないなりに、まだまだ人生色々なことが起きるよね、と思います。

。。。この投稿に、オチはないです。
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2016年09月07日

【ただのひとり言ですが】

時々、思うことがあって、
人間って何かの渦中にいる時は、
ただ、もがくしかないこともある。

その何かから離れることができたとき、
初めて色々な視点がひらけたり、
ああ、あれはこういうことだったのか、と
ようやく腑に落ちたりする。

たとえ、直接的な目標は達成しなくても、
もがいた時間は決して無駄ではなくて、
苦しかったもがきがいつか
強い土台になっていたりする。

苦しいときは、どうしても、
苦しさに大騒ぎしてしまうけれど、
投げ出さずに居さえすれば、
いつか何とかなるのかも。

それが、思っていた形ではなくても。

きっと、その時の最善の形に、
なれると思いたいです。

そのために、今日もひとつでいいから、
小さなことでいいから、
何かしよう。
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2016年06月30日

【生まれた意味とか生きる意味とか】

昨晩は、渋谷までライブを観に。
秋口に越生で開催予定の、音楽フェスのプレイベントで、知人が久々にバンドを組んで出場するというので、楽しみに行ってきました。

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あまりゆっくりは滞在しなかったのですが、それでもたくさんのミュージシャンの演奏を聴くことができました。

それで、じっくりと歌詞にも音にも耳を傾けながら、ずっとひとつの考えが頭をめぐっていました。

人間って、どうしてこんなにも、生まれてきた意味とか、生きていく意味とかを、自分なりに明確に定義していかないと不安になったりするんだろうかと。

昨夜のステージは、それでも生きていくよ、という、それぞれの想いが溢れていた気がします。

いいライブでした。

あと、ステージにはライブペイントの若手アーティストも何人か来ていて、久しぶりにライブペイントって面白いものだなあと思いました。

私はひたすら、1枚の小さな絵を完成に向けてチマチマカリカリと描き込んでいくタイプですが。。。絵は完成させるものだけではなくて、終わりなく変身していく形もあるのかな、と。

今までは、ライブペイントは自分には無理と思っていたけれど、いつかやってみたいなと思いました。

それには、いま目の前にある自分の大きなハードルをひとつ越えなければ。

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2016年06月14日

【うつみのりこさん 「しろくまのそだてかた」】

現在、子どもの本や教科書、書籍を中心にイラストレーターとして活躍中の、うつみのりこさんの絵本「しろくまのそだてかた」。

手帳くらいのミニ絵本です。

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しろくまをそだてるときにたいせつな12のこと、について、ほのぼのとしたイラストと文章でつづられています。

この本には大人に向けたメッセージが込められているそうですが、「しろくま」と「あなた」は様々に置き換えて読むことができそうです。

詳しくはこちら
うつみのりこさんのブログ

うつみさんは私が絵の活動を始めた頃からの長年のお友達です。その頃からの私(と私の絵)をよく知っているお友達は、だいぶ少なくなりました。。。いつお会いしてもお話し足りないくらい、楽しい人です。

たくさんの人に、しろくまの愛が伝わりますように。
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2016年05月27日

【楽しかったことしか覚えてない】

ふと思ったこと。
今までの人生の中で、

嬉しかったこと楽しかったこと、つまり自分に心地良かったことと、

悲しかったこと悔しかったこと怖かったこと、つまり自分に心地悪かったことと、

どちらを多く覚えているんだろうと。

多分、良いことも悪いことも、自分にとって都合のいいような部分しか記憶にない(ことにしている)のが人間、という気もするんだけど。

いつか、

あのねぇ、人生、楽しいことしか覚えてないのよ。。。

などとのたまって、能天気に周囲を絶句させるくらいに老練するまでには、

どれくらいの数、心地悪い出来事と心地良い出来事を、重ねては乗り越えていくのかな。

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ところで、

昨年春に突然、モチーフにするためホームセンターから買ってきた20センチくらいのサボテン君は、まだ元気に我が家の窓辺で成長し続けています。

今日は全くオチのないお話でした。


posted by はやしすみこ at 17:54| 東京 🌁| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月31日

【今日のパレット 20151231 今年も終わりです】

あと2時間ほどで年越しです。
すっかりテレビを観なくなっている我が家では、紅白歌合戦の進行を時々ネットでチェックはするもののテレビは消えたままで、そのせいもあってか大晦日の実感がない夜を迎えています。

今年最後の、今日のパレット。

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今日は朝から絵を描いていて、1枚仕上がりました。
仕上がった絵は来年の春に展示予定のもので、M4号。既製の額縁はないので年が明けたら特注します。

今年は、なんだか常に心が慌ただしく落ち着かない出来事が続き、試練の年だったかなと思います。試練はまだ続いていますが、来年の春頃には一度、身辺の仕切り直しをしたいなと思っています。

試練の年とは言え当然苦しいばかりではなく、自分が思っているよりもたくさんの人が、私を心配したり見守ったりしてくださっていることに気づかされた1年でもありました。

毎日絵のことばかりで、しばしば心の余裕をなくしてしまいがちな私のことを、辛抱強く支え続けてくれている家族。私の描くものを、私から多くは言わずとも深く理解して指導してくださる師匠。そして私と変わらずに交流を続けてくれている知人友人の皆様や、お声をかけてくださるギャラリーオーナーの皆様、絵のお客様、アトリエうみねこの生徒の皆様、たくさんの皆様に、ありがとうございました。

来年はどんな1年になるでしょう。人間としての器はなかなか大きくはならない私ですが、小さい器なりにも、やはり絵を描くことで誰かに喜んでもらえるような1年でありたいなと思います。

来年の展示は2月中旬のグループ展から始まります。個展も予定しております。
来年もまたどうぞ宜しくお願い致します。
posted by はやしすみこ at 21:57| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

【明日できることは今日するな】

よく、「今日できることを明日に延ばすな」と言いますが。

時々、「明日できることは今日するな」と思うことがあります。

もちろん、「。。。明日に延ばすな」というのは、物事をやみくもに先送りにせず迅速に対処しなさいという意味合いだとは理解しています。

こういう経験したことのある人は結構多いのではないでしょうか。
「明日からテストだというのに、勉強しようとして無性に他のことが気になり、結局勉強できなかった」とか、「大掃除しようと思って始めたのに、古い雑誌や手紙が出てきてつい読みふけり、掃除にならなかった」とか。

「これをやらねばならない」という強い義務感は、ある意味ストレスですよね。その精神的緊張を紛らわすためについつい余計なことに手をだしてしまうということですね。

このほかにも、仕事が立て込んでいていくつもタスクが溜まっているような場合も、明日までに仕上げなくてはならないタスクよりも、日程に余裕のあるタスクの方に良いアイデアが浮かんでしまい、そちらの作業を優先してしまった結果、夜になってから「明日まで」のタスクが手付かずなのに気づいて慌てて結局徹夜してしまったり。

「明日できることは今日するな」というのは、言い換えれば「スケジュールに余裕のないタスクから片付けろ」「今日しなければならないことだけをしよう」ということ。

「忙しい」という字は「心を亡くす」と書くんだぞ、いう戒めの言葉には耳にタコができる思いで、実際もう聞きたくないというのが正直なところですが、まさに忙殺されてしまっている人は多いと思います。私もある意味そのひとりかもしれません。

スケジュールに余裕のないものを抱え込んでいるとき、やらねばならないと義務感にかられてしまったとき、そのストレスを「発散する」というのではなく「解放する」という方法はないものでしょうか。。。

「心に余裕を持ちましょう」と掲げても、どうしたら余裕が生まれるのか、その方法を考えないと、いつまでたっても心の余裕は持てないですよね。

「今日しなければならないことだけをしよう」

それだけで十分、でもそれがわりと難しい。

他人とのコミュニケーションが難しいと感じることもあるけれど、実は自分自身の心がいちばんままならないものなのかもしれません。
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2015年03月30日

【デッサンは自然界の法則を知ること】

少し前に、デッサンが上達すれば油彩も自然に上達するよ、と励ましてくださった方がいらっしゃいます。

鉛筆と筆では描き味が全く違うので、そこは使いこなさねばなりませんが、どちらもしっかりとした物の見方ができていることが肝心だ、と仰りたかったのかなと思います。

まず、デッサンの上達って何なのだろう。

デッサンは、特に初心者のうちは目の前の物を緻密にそっくりに描くことである、というイメージが強く、モチーフの輪郭を線で何度も描き直しながら、うまくいかない、とがっかりすることが多いかもしれません。

しかし、まず物の塊としての様子にフォーカスして描き始めると、意外と見えてくるものは多い。

よく言われる、陰影で立体感を描くというのは、つきつめていくと単純なことではないと、私自身も最近になってようやく少し実感するようになってきました。

陰影は単純に、物の立体感の表現のためにあるのではなく、自然界の光と物体と空間の関係を表現するためにある。静物画というのは、自然界の光の法則を知り、絵の中に取り出すことから始まるのかもしれません。

日本の巨匠、東山魁夷が深い悩みに陥った時、「心を鏡のようにして自然を見ておいで」と師が語ったそうです。この言葉はもう10年くらい前に知って忘れられないエピソードですが、デッサンのトレーニングをする上での心構えにも通じると今では思います。

さて、毎日少しずつですが、デッサンはするようにしています。インスタグラムでぼちぼち紹介していますので、ご興味があればフォローください。
そして、本画のほうはなかなか進んでいませんが。。。今、自分が積み重ねていることが決して無駄にならないことを祈りながら。

ひとまずは、もう来週の月曜日に搬入がせまっている現代童画会の春季展のF8号を描き進めることにします。
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2015年03月08日

【納得しながらも満足しない姿勢】

SNSで、ある人に入れた自分のコメント。その時は思い付きで書いたのですが、改めて忘れないでおこうと思って、こちらに書き留めておきます。

絵を描くにあたって。

(一枚一枚は)納得しながらも満足しない姿勢が大切。

どの絵も全力で取り組む。でも、それをステップに次はもっと良いものを。

これはよくよく考えてみれば、絵を描くだけでなく人生全般において、もうこのくらいでいいやと思うことも、もうこれでいいやと思うことも、その人の成長を止めてしまう一因なのではと。

もちろん、人間には必ずモノグサな本性が隠れているし、どうにもならないことも起こる。だからそれを乗り越えてどこまで踏ん張れるのかな、ということにもなると思う。

私だって油断するとただのモノグサ。
そして細胞は確実に衰えていく。
でも自分に満足していないことだけは確か。

だから時折地味に凹みながらも、まるで自己治癒能力のように努力を続けるしかないのです。
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2015年02月19日

【何でも奥の意味が存在すると考えてしまう悪い癖】

最近、私に油彩の指導をしてくださった方が、ある日ふと。

油絵っていうのは、一度絵の具を置いたら取り返しがつかない。置いた絵の具は無かったことにならなくて、あとはひたすら重ねていくしかなくて、うっかりぐちゃぐちゃにしてしまう。

というようなことを仰いました。

もちろん、きちんと手順を考えて絵の具を置いていけ、ということです。

それから何週間か過ぎて、今朝ふと。

それってまるで人生と同じ。

と思ってしまった。

人生って、何か事が起きたら取り返しがつかない。起きた事は無かったことにならなくて、あとはひたすら生きていくしかなくて、うっかりぐちゃぐちゃにしてしまう。

何にでも奥の奥に別の意味というか暗示があると考えてしまうのは私の悪い癖です。

でもそういうことを考えながら今朝は筆を握っていました。

下絵もなく描き始めて、一度失敗してまた下絵もなく描き始めている一枚の小さな絵。

未完成状態の一部分です。

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この子はぐちゃぐちゃにならずに仕上がりますように。
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2015年01月09日

【ていねいに毎日を送る】

ていねいに毎日を送る。
ここのところしばらく、そうありたいと真剣に考えています。

人によって、ていねいな暮らし方のイメージは違う。

ともすると、いいやこれは後でまとめてやろう、とモノグサな考え方をしがちな私は、まずは「ふと気付いたことを見なかったことにせず、その場でやる」ことを徹底しようかなと思います。

小さな積み重ね。
今できることは今やる。
なんだそんなこと?

と思えることほど、実はやりこなすのは難しい。
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2014年11月10日

【松下幸之助氏「道をひらく」 - 紙一重】

松下幸之助氏の随筆集「道をひらく」。
480万部超えのベストセラーだそうですね。

「人として大切なこと」とか「自己啓発」とかいう本は、著者から見下ろされている感じがしてしまいあまり好きではないのですが、この本だけは何だかいつまでも繰り返し読んでしまう。
それは、この本が純粋に松下氏自身の生きる上での決心と、一緒に幸せになりたい人々への問いかけでできていて、教えてやろう、導いてやろう、という一方通行な感じではないからかな、と最近では考えています。

朝、本の適当なページを1ヶ所だけ開く。
そこに見開き完結で記されているテーマについて、静かに考えてみる。
その日の運勢をカードで占ってみるような感覚ですが、時々ではありながらそういう読み方をしています。

今朝は「紙一重」でした。
ほんの僅かの違いから大きな隔たりが生まれてくることがある。
たとえば天才と狂人、人間の賢さと愚かさ、成功と失敗など。
ものの見方を少し変えるだけで、同じことが全く違うことに見えたり、発展したりする。
そのために大切なのが、素直でいる、ということ。というような内容です。

多分、この「素直な心を持つ」ということが一番難しいのだと思います。
ただ無邪気な心とか、純粋な心とか、感受性とか、そういうことではなく、物事の真ん中を、先ずニュートラルに捉えられるというか、いわゆる「中庸」の心のことだと思うのです。

「中庸の心」というのは、感情の浮き沈みの激しさやちょっとした被害妄想を起こし易い私にとって、到達したい境地でもあります。事が起きて右往左往するというのは、振り回される周囲もたまったものではありませんが、実は本人が一番つらいものです。

何年も前に心療内科のカウンセリングを受け、身にふりかかる事象をいかに落ち着いて客観視するかという部分を訓練していただいたことがあり、だいぶ改善はしたのですが、それでも「ほんの一瞬」心の立て直し方を間違えてしまうことは、今でもまだあります。

私にとっての紙一重は、その「ほんの一瞬」をどれだけ素早くつかまえて、自分を沈静化させることができるか、ということでもあるのかもしれません。

中庸の境地はその先で待っていてくれる気がします。

いい加減、大人として「いい歳」になりました。
今年は絵画教室の生徒さんも一気に増え、自分に関わってくださる方々への責任も色々と増えました。
まだまだ成長の途中、人生80年ならばようやく中間地点くらいの私です。
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2014年07月23日

【ヴァニラ画廊 たま個展 Secret Mode】

ヴァニラ画廊で開催中の、たまさんの個展。そういえば、彼女の個展に伺うのは久しぶりな気がする。前回は画集に似顔絵を描いていただいたんだったっけ。

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ヴァニラ画廊、気がつけば結構な回数を通っています。

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久しぶりに対面した、たまさんの描く少女たちは、たくさんの傷と押し殺したような沈黙の中で、また一段と強くなって、確かな肉体を持った気がしました。

一人の作家さんの展覧会を追いかけていると、毎回毎回、変化が見える時があります。でも、多分、そのこと(展覧会ごとに気付く変化)はあまり作家さん自身には重要ではないのかも。

創り続けるということは、日々変化していくということ。そして、展覧会は、その変化する過程の何処かを切り取ったものだから。

今日はたまさんも在廊されていなくて、他のお客様もいらっしゃらなくて、空間独り占め。フロアの真ん中に立って壁面をぐるぐる見渡していたら、泣きそうになった。

私には、私の変化が時々わからなくなる。進歩していると思い込んでいるだけで、実は、窓の外の景色だけが流れていて、私の足は同じ地点をただ踏みしめているだけなんじゃないだろうか。私は一体、どこまで来て、どこまで行けるんだろう。

静かに見えるけれど、激しく強い。
たまさんの描く世界は、やっぱり好きです。
posted by はやしすみこ at 16:14| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

【オリジナルと複製、アナログとデジタル、さまざまな価値観?】

SNSの投稿に作品の画像をアップした知人がいて、その画像に写っていた絵があまりに可愛らしかったので、「画像じゃなくて本物が見たい」という趣旨のコメントをしたところで、ふっと思い出したことがあります。

最初に書いておきたいのですが、私は、ここから先に書くことについて、是非を問いたいわけではないのです。ただ、こういう価値観が生まれた背景や、こういう価値観に直面した際にどうしたらよいのだろうか、ということに興味がある、というだけなのです。

さて、話を元に戻しまして、「画像じゃなくて本物が見たい」とコメントしたときに、ふっと思い出したのは、少し前にどなたかが「最近の美術を学ぶ若い人たちは、展覧会のDMや作家のHPを見ただけで満足してしまい、ギャラリーになかなか足を運ばない。良い作家だからと紹介しても張り合いがない。」というような話をされていた場に居合わせたことでした。

これは、インターネットの普及によって「誰もが気軽に情報発信できる」という環境が促進されるようになってから、様々な形で取りあげられている問題ではないかなと思います。

「HPがないとお話になりません」「HPで見るからいいです」「HPで見たのでわかります」というような言葉を何度も聞きました。
その直接的な結果なのかは断言できませんが、展覧会の会期前や会期中に、参加作家の出品作をHPやSNSで積極的に紹介するギャラリーさんに対して、作家さんの反応が、「宣伝になるから大歓迎」という肯定派と「ネットで満足してしまうからやめてほしい」という否定派、ざっくり言えばその2パターンに分かれるようになっているのも現実です。

私自身はと言えば、自分でHPも作っていますし、SNSでも積極的に絵の画像を掲載していますし、ギャラリーさんが宣伝してくださるのも歓迎派です。
ただそれは、都内中心にしか活動できていない自分にとって、ネットはそれ以上の広範囲の人々に、私の存在を知ってもらえるきっかけになるかもしれない、という期待をしているからです。基本的には画家を名乗っているので、実物を見て気に入っていただけることが最大の幸せだと思っています。

だからこそ「HPで見たからいいです」「HPで見たのでわかります」「だからわざわざ展示見なくても」と言われてしまうとやはり凹むのですが、同時に「彼らは、どうしてHPだけで満足するのだろう?」という疑問もわいてきます。
これは、CGという作品形態がアートの分野で地位を確立してきたことが影響を与えているかもしれないなと思いました。

もう一度書いておきますが、私は「アートはアナログvsデジタルどちらが上か?」という議論をしたいわけではないです。

いわゆる「原画」と呼ばれる作品形態は、キャンバスや紙などに画材を使用して描かれ、額装の上、物理的に展示されるものです。そして、それらの複製品である「デジタル画像」がネット上にアップされます。つまり、アナログがオリジナルで、デジタルが複製です。
一方、CG作品はオリジナルがデジタルの形態であり、物理的な展示の必要がある場合において、プリンタ出力の上額装され、展示されます。つまり、デジタルがオリジナルで、アナログが複製です。

さて、両者はまったく別方向のアプローチで存在するにもかかわらず、ネットを生活の中心に据えている人々にしてみれば、それが「デジタルによる複製」であれ、「デジタルによるオリジナル」であれ、ネット上で見る限り、視覚的にはネット上にある「同等なコンテンツ」と認知されているのではないでしょうか。どちらもネット上にあるコンテンツだから、オリジナルがどういう形態や存在のものなのかはあまり重要なことではなく、今、ネットで見て楽しめるか楽しめないか、ということが重要になのかもしれない。だから、「HPで見たからいいです(=もう興味は満たされました)」と感じるのではないのだろうか、と・・・。

もちろん、これは私の想像であり主観にすぎませんが、原画には原画の魅力があるにも関わらず、ネット上の画像で見た、という視覚的な満足でクローズするのには、見る側のそういった意識があるのではないかと思わずにはいられません。

何度も言いますが、私は「アートはアナログvsデジタルどちらが上か?」という議論をしたいわけではないです。
アナログにはアナログの魅力が、デジタルにはデジタルの魅力があるので、アナログはアナログの状態で、デジタルはデジタルの状態で鑑賞するのが最大限その魅力に触れることができる手段なのではないのだろうか、だったらなぜ、アナログ作品そのものの魅力が最も大きい状態で見てみよう、という行動(=展覧会に行こう)につながらないのだろう・・・という疑問を常に抱いている、ということが言いたいのです。

私はもともとWebの仕事をしていた人なので、ネットの情報共有の可能性について、あまり否定的ではないつもりです。ですからこれからも、ネット上で自分の描いた絵を紹介しつづけると思います。
しかし、ネットで見てくれた人々がそこで満足してクローズにならないために、更に自分に何かが必要なのだとしたら、それは何なのかをもう少し真剣に考えることも、これからの自分の課題かもしれない、と考えています。

ちなみに、私が現在、油彩画や鉛筆画を作品形態にしているのは、アナログが上だと考えているからではありません。
それが、自分にとって一番しっくりくる表現手段として落ち着いたからです。
posted by はやしすみこ at 19:54| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

【絵空事に求めるそれぞれのリアリティ】

昨日の「眠る男」の公演を観に行ったスペースは「絵空箱」という名前です。
帰りに建物外観のスナップをスマホのカメラで撮影していて、ふと、そういえば絵空箱、って良いネーミングだな、と思いました。

絵空箱さんのHPをざっと拝見したのですが、特に名前の由来についての記述が見つからなかったので、これは私の思い込みなのかもしれませんが。

絵空箱。絵空事を行うための箱。良いネーミングではないですか。

絵空事というのは、一般的にはあまり良い意味ではないと思います。非現実的で、ただの幻想で、あり得ない事を大げさに考えている。「絵空事にすぎない」という言い回しからもそう感じます。

私が今デッサンを習っている先生は、しばしばこんなことを言います。

絵なんて、絵空事にすぎない。
絵なんて、所詮「絵に描いた餅」。
絵なんて、嘘っぱちなんです。

画家が「絵は嘘っぱち」なんて言っていいのか?と短絡的に解釈すると、この真の意味を見失います。

現実世界は「縦×横×奥行き」の3Dのサイズを持った物体で構成されています。
しかし、絵は物理的には「縦×横」の2Dのサイズしか表現できない。
3Dのものを2Dに変換する。そこには必ず作為(=あることに見せかけるため人の手を加え手直しすること、作り出すこと)が発生します。

つまり絵に描かれたモチーフは、現実世界に存在しているものとは、そのものとイコールとはいかない。そのものイコールに「見える」ように描かれるため、嘘を含んでいるということなのです。

しかし人は、その嘘の中に何かを感じ、感動したり、嫌悪したりするの。
それは、そこにあるのがその人にとっての「実感」、言い換えればもうひとつの現実だからです。

3Dを2Dにする作為というのは、何もテクニック(作画の技術)に限ったことではありません。
テクニックも意図をもって使うからこそ本領を発揮する。
作為の源は、作り手が「意図」をもつことにあります。

例えば、いわゆるリアリズム絵画を目の前にして「本物そっくりにしたいのなら写真でいいじゃないか」と言う人が居ます。気持ちは分かります。
また、そういう言い方は画家にも写真家にも失礼だ、と言う人が居ます。気持ちは分かります。

しかしこういう感想は、画家にとっても、写真家にとっても、失礼なことではなく、最終的に何の意味も持たないだけのことだと私は考えています。

芸術は、実物を模倣することではなく、何らかの実感に形を与えることでもうひとつの現実を創り出すところに意味があります。少なくとも、それは意味のひとつです。
だから絵空事でよいのです。絵空事だから意味があるのです。

絵空事を行うための箱。やっぱり良いネーミングです。
芸術に触れるということが、より多くの実感を体験し、人それぞれが、自身の求めている現実(リアリティ)を獲得するきっかけとなりますように。
posted by はやしすみこ at 09:54| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

「好みではない作風やコンセプトの絵」

時々、言われることがあります。
「あなたの絵は少し毒があって怖いので、もっと明るく、可愛らしい絵は描かないのか。」

そういえば昔も言われたことがあります。
「せっかくなら、もっと温かい絵を描いたのが見たい。」

これは普段感じるのですが、
素直に可愛い絵、素直に明るい絵、素直にポジティブな絵、好きな人多いです。
敢えて「素直に」という形容詞を付けて、拗ねたみたいになっていますがごめんなさい。
単純に、ストレートで分かりやすい、受け入れやすい部分がある、
ということが言いたいのです。

私は目下、画家志向で活動していますから、画家の観点で言うのですが、
画家それぞれには、個性といいますか、作風やコンセプトがあり、
自分の表現したい世界を、その世界観に見合うモチーフや色彩や造形で、作品にしています。
そして、絵を購入してくださるお客様や、ご注文を下さるお客様は、
自分の作風を理解した上で、そうしてくださるのだと素直に考えている部分があります。
少なくとも、私はそうです。

一方、絵を観にいらっしゃるお客様にも、それぞれの嗜好がありますので、
やはり、ご自分の好きな傾向の絵を観たい、欲しい、と思われるのは自然なことです。
ですから、単純な「見た目」の判断だったとしても、
この画家の絵は好き、あの画家の絵は嫌い、
と感じることも、自然なことなのではないかと思います。

表現というのは、最終的に「伝わってなんぼ」という部分がありますので、
表現した世界観がどれだけ伝わりやすいかという課題があるかもしれません。

ただ、人間同士の、普段の言葉コミュニケーションにおいても、
結局、言葉を尽くしても気持ちが伝わらなくて残念な思いをする、
ということは往々にしてあるように、
画家の表現がずっしりと伝わる相手と、どうにも伝わらない相手が存在しても、
不思議なことではないと思います。

今までの経験(自分の絵に対する評価を受けた場など)を振り返ってみると、

古くからの知り合いや、
たまたま私の絵が好みではないのに会場に紛れ込んでしまったお客様から
「もっと明るく、可愛らしい絵は描かないのか」と言われることが多い。

古くからの知り合いの場合は、私の昔を知っているので、
大きな変化があったりすると心配することもあるでしょう。
例えば、10代になって突然「紫色」が大好きになり、
文房具から服装まで紫づくしに変えていく私を、親がよく心配していました。

私の今の作風が定着し始めたのは、ここ数年なのですが、
それ以降に私の絵を観て下さるようになったお客様は、
特にそういったことはおっしゃらない。
「画家とお客様」という出会いの当初から、
そういう作風の絵描きで、そういう作風が好きな人で、
というマッチングができているからですよね。

ただ、たまたま好みではない画家の展覧会に紛れ込んでしまったお客様が、
単純に、ご縁がなかったのね、という形になってしまうのは残念だなと思うこともあります。
できれば、見た目の好みに引きずられずに、
これも何かのご縁と思って、画家さんと色々お話してみてほしい。

お話した内容が、理解(受容)できるかどうかは別の問題ですが、
どんな表現も、それを受け入れ、欲している人たちがどこかにいる、
ということは事実なのです。

もしかしたら新しい世界が広がるかもしれないので、
可能性のひとつとして、好みでないものも楽しんでみようかな、
と思っていただけたら嬉しいなと思うのです。
posted by はやしすみこ at 12:12| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする