デッサンの時など、とにかく見えたものを全部描こうという心意気は大切だと思っているのですが、全部描き込みすぎるのも良くない場合がある。例えば、私が特に好んで描いている壊れたアンティークドールのデッサンなどは、壊れた部分をつい描き込みすぎてしまうけれども、それは奇怪さを強調してしまうので、その意図がないのならば描き方を考えなければならないというような具合。
師匠の仰ることは理屈ではわかるし、奨められた画家の方の作品もよくよく観察してはみるものの、どうも自分の中に確かな実感がないまま月日が流れていました。

画像は、さっき描き上がったばかりの絵の一部を拡大しているのですが、この顔けっこう苦労しました。ちょっとした違いで、顔が一気に怖くなったり、ぼやけてしまったりする。今までで一番、顔のパーツの調整が多かったかも。
形状の調整というよりは、線の強さの調整だったのですが、それを何度も重ねるうちに、今回は何となく、力を入れるところと、力を抜くところと、という実感のとっかかりを掴んだような気がしています。
同じモチーフを描いているのに、怖く感じる絵と怖く感じない絵があったり、可愛いと感じる絵と可愛さを感じない絵があったり、それはほんのちょっとした差で、それでもそれが大きな差になるのかもしれないです。
細部まで気を抜かない精神力、ただ描き込む方向だけではない細やかさを、もっと身につけたいです。