2014年06月16日

【絵空事に求めるそれぞれのリアリティ】

昨日の「眠る男」の公演を観に行ったスペースは「絵空箱」という名前です。
帰りに建物外観のスナップをスマホのカメラで撮影していて、ふと、そういえば絵空箱、って良いネーミングだな、と思いました。

絵空箱さんのHPをざっと拝見したのですが、特に名前の由来についての記述が見つからなかったので、これは私の思い込みなのかもしれませんが。

絵空箱。絵空事を行うための箱。良いネーミングではないですか。

絵空事というのは、一般的にはあまり良い意味ではないと思います。非現実的で、ただの幻想で、あり得ない事を大げさに考えている。「絵空事にすぎない」という言い回しからもそう感じます。

私が今デッサンを習っている先生は、しばしばこんなことを言います。

絵なんて、絵空事にすぎない。
絵なんて、所詮「絵に描いた餅」。
絵なんて、嘘っぱちなんです。

画家が「絵は嘘っぱち」なんて言っていいのか?と短絡的に解釈すると、この真の意味を見失います。

現実世界は「縦×横×奥行き」の3Dのサイズを持った物体で構成されています。
しかし、絵は物理的には「縦×横」の2Dのサイズしか表現できない。
3Dのものを2Dに変換する。そこには必ず作為(=あることに見せかけるため人の手を加え手直しすること、作り出すこと)が発生します。

つまり絵に描かれたモチーフは、現実世界に存在しているものとは、そのものとイコールとはいかない。そのものイコールに「見える」ように描かれるため、嘘を含んでいるということなのです。

しかし人は、その嘘の中に何かを感じ、感動したり、嫌悪したりするの。
それは、そこにあるのがその人にとっての「実感」、言い換えればもうひとつの現実だからです。

3Dを2Dにする作為というのは、何もテクニック(作画の技術)に限ったことではありません。
テクニックも意図をもって使うからこそ本領を発揮する。
作為の源は、作り手が「意図」をもつことにあります。

例えば、いわゆるリアリズム絵画を目の前にして「本物そっくりにしたいのなら写真でいいじゃないか」と言う人が居ます。気持ちは分かります。
また、そういう言い方は画家にも写真家にも失礼だ、と言う人が居ます。気持ちは分かります。

しかしこういう感想は、画家にとっても、写真家にとっても、失礼なことではなく、最終的に何の意味も持たないだけのことだと私は考えています。

芸術は、実物を模倣することではなく、何らかの実感に形を与えることでもうひとつの現実を創り出すところに意味があります。少なくとも、それは意味のひとつです。
だから絵空事でよいのです。絵空事だから意味があるのです。

絵空事を行うための箱。やっぱり良いネーミングです。
芸術に触れるということが、より多くの実感を体験し、人それぞれが、自身の求めている現実(リアリティ)を獲得するきっかけとなりますように。
posted by はやしすみこ at 09:54| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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