2014年06月16日

【岸田理央フェスティバル「眠る男」観てきました】

昨日の日曜日、公演最終日でしたが「眠る男」という舞台を観てきました。

実は、正直に言えば私は舞台というものがよくわかっていません。
今までに数えるくらいしか舞台を観に行ったことがありませんし、劇団も、脚本家も、俳優も、ダンサーも、ほとんど知りません。

今回は、舞踏家の点滅さんが出演されるから・・・というご縁で観てきました。
一度だけ、点滅さんがモデルでいらっしゃった人物デッサン会に出席したことがあるのです。

さて、今回の「眠る男」は、劇作家の岸田理生史の死を偲ぶ、岸田理生アヴァンギャルドフェスティバルの8回目として、さまざまな演目が2会場で公開されたもののひとつ。「眠る男」は岸田氏の幻の処女作といわれる作品とのことです。会場は「絵空箱」でした。

ストーリーそのものは、眠ることにより出現する現実と、覚醒することにより出現する現実の狭間にいるさまざまな人間関係の駆け引きというものですが、前半で、さまざまなシチュエイションの「眠りたい人と眠らせない人」「眠れない人と眠らせたい人」の関係性が綴られ、後半でその眠りたい、眠らせない、眠れない、眠らせたい、それぞれの想いが次第にヴェールを脱いでいくという構成になっていたようです。その、前半と後半の転機としての役割を担っていると思われる長台詞を発したのが点滅さんでした。

眠ることによる現実と覚醒することによる現実は互いに混ざることがない。
舞台後半にさしかかる頃には、どちらが表でどちらが裏なのか、何が真実で何が虚構なのか、次第に判断力を奪われていくような感覚に陥りました。
表を規定しているもの、裏を規定しているもの、それらが少しずつ剥がされていき、どちらでもあり、どちらでもない、という矛盾したものが次第にひとつのものになっていく感じでした。

例えば、紙には裏と表がありますが、目の前に置かれた紙を一度裏返してみると、たちまちそこには新たな表が現れます。表、裏、というのはそれぞれ絶対的なものではなく、私たちが特定の条件の下に与えるラベル(名前)でしかないのです。

さて、今回の舞台ですが、ビジュアル面も良かったと思います。
舞台装置はシンプルで、演者たちは皆、素肌に臙脂色の無地の布で作った衣装を纏い、床に組まれた黒い鉄パイプのジャングルジムの上に、止まり木に止まるような配置のまま、全ての演技が展開されました。
つまり、決して見た目に派手な感じではないのですが、照明が変化することにより、臙脂色によって切り取られた人間の胴と四肢の群れが白くうごめくのです。そのコントラストの生々しさと言ったら、人体の存在感というか、むしろ別の生き物が群生しているようで、台詞もストーリーも追うことを忘れて、ただそのコントラストだけを眺めていてもいいという心地でした。

日頃から「絵のことはよく分からなくて・・・」と謙遜なさるお客様には「分からなくても、何かを感じていただけるならばそれが一番です」という趣旨の言葉で答えています。
実際、予想もしない奇想天外な感想をいただくこともありますが、それはそれでとても興味深いのです。

同様に、私は舞台のことはよく分からない、と言います。こうやってブログに記している感想も、もしかしたら全然的外れで分かってないのかもしれません。
それでも、昨日は、ああ観に来て良かったなという心地で会場を後にしたことだけは確かなので、こういう積み重ねを、年に何度もないというゆるゆるペースでもいいから続けていきたいなと感じました。
posted by はやしすみこ at 09:53| 東京 ☀| Comment(0) | 音楽・演劇・映画・本・グルメ・その他雑食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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