2014年05月04日

【待つことと、待たないこと】

5月の連休になると、よく思い出すことがあります。

子どものころ、近所の大手スーパーの衣料品売り場で迷子になりました。
当時、ハンガーラックの大量の衣類の間をモゾモゾとくぐっていく遊びに夢中になっていた私は、
その日も婦人服売り場で買い物をする母が待ちきれず、
ハンガーラックの衣類の間をくぐって遊んでいました。

ふと我に帰ると、母からはぐれている。「しまった」と思いました。
一気に心細くなって、とりあえず付近を探してみましたが、母はいません。

よくあるパターンでは、そこで大泣きして歩き回り、
お店のスタッフさんに保護され、店内放送・・・ということになるのでしょうが、
少し探して「これは探していても会えない気がする」と思った瞬間、
急に冷静になって、そのまま帰宅してしまいました。

そのとき、私の手には、何かでもらった鯉のぼりのおもちゃが握られていて、
帰宅するまでの心細さをごまかすために、
一生懸命、鯉のぼりを風に泳がせながら帰ったので、
多分、5月の連休の頃だったのだな、という記憶になっているのです。

いきなり帰宅してしまったのは、
家にいれば必ず母も帰ってくるから確実だと思ったからでしたが
(しかしどうやって家の中に入ったのかは覚えていません)、
当時は携帯電話など一切ありませんでしたから、はぐれたときも即座に連絡が取れません。
たまたま、近所に住む親戚が、私が一人でいるのを発見して母に知らせに行き、
大慌てで帰ってきた母には、かなり叱られました。

いつどういうきっかけでそうなったのか、
私はあてもなく待つ、ということがいまだに苦手です。
何を待っているのかだんだんわからなくなり、不安ばかり募るので、
子どもの頃から、無意識に「待たない」という選択をしてきたのだと思います。

それは例えば、大人になっても、
待ち合わせに大幅に相手が遅刻しているような場合、
近所のカフェなどを指定して、
「ここで待っているので到着したら私を探してね」とメッセージを残すことが多いです。

ただ呆然と待っているよりは、どこかに腰を落ち着けて、
仕事のアイデアを練ったり本を読んだりして過ごして自分の時間を使っている方が、
気が紛れるし、待っていることを忘れられるのでイライラもしない。

ただ、「待つよりも、待たない方を選択」しても、
必ず自分を探してもらえる手がかりは残すので、
結局「かまってちゃん」なのかも。
つまり自分本位なのかなと思うこともありますが・・・まあそれはそれとして・・・

今年も5月の連休の時期になって、あの迷子の日のことを思い出します。
陽が少しだけ傾いてきた時間帯のことでした。
ちなみに、迷子になったという記憶は、その1回きりです。

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201311_machibito.jpg

待ち人は、来るのか来ないのか。
皆さんの待ち人は、どなたでしょうか。
いつまで、待ちますか。
いつまで、待てますか。

添付画像は、2013年秋に描いたF3号の油彩画「待ち人は有りや無しや」
posted by はやしすみこ at 14:10| 東京 ☀| Comment(0) | もの想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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