今まで「優しさ」ってとても前向きなものだと思っていたのに、「憂い」という意味を含むのだと考えると、ちょっと黄昏れたムードが漂ってきました。
本当に優しい人ってどんな人なのでしょうか。
私は個人的に、「私は他人に優しいところが長所です」と自分自身のことを言う人はあまり信用していない部分があります。「優しい」というのは、あくまでも他の人が自分をそう思ってくれるのであり、自分から言うものではないと考えているからです。
人間は、最終的には自分の考えている事しかはっきりと認識できませんし、他の人が何を考えているのか、何を求めているのかは、その相手の言葉を聞いて推測し、「こうしたら喜ぶかな?」と自分の価値基準から判断するしかないと思うのです。
決して、悲観的になって言っているのではなく・・・・
ですから、「他人に優しくできる人になりたい」といつも願っている人のことは信じる事ができます。
「憂い」とは何でしょう。
国語辞典には「(悪い状態になりはしないかという)心配」とありました。(三省堂国語辞典 第四版より)
・・・つまり、「優しさ」とは、相手の人が、辛い思いをするんじゃないか、悲しい思いをするんじゃないか、という心配をするということになるのでしょうか。
心配する、というのはその相手の人に愛情を持っていないとできませんね。その人のことをいつも考えて、辛くないかな、悲しくないかな、辛くないようにしてあげたい、悲しまないようにしてあげたい、と思うわけですから。
本当に優しい人というのは、確かな愛情で他人に接する事が出来る人。
もしかしたら万人に優しくするなんて無理なのかもしれません。
愛情は、強くて、純粋な感情ですから。万人に対して、強く純粋な気持を持つというのは、実は大変なことなのではないかと思うのです。
優しい人は、愛情で誰かを包める人。
私も、せめて大切な人たちにはまっすぐに愛情を注げるようになりたいと思います。
マイペースで、自己中心ですけど。